プロフィール
本ページでは私のことを知っていただくため、私の経歴と性格について記載していきます。
幼少期
幼少期の頃は大人しく、一人遊びが大好きな少年でした。表情の変化にも乏しく、生まれ持って内向的な気質を持っていました。
すごろくを使って箱根駅伝ごっこを一人でやったり、頭の中で野球の試合の妄想をしたり、絵を描いたり。一人で遊んでいる時間が何よりも楽しかったことを覚えています。
小~中学校時代(学校生活)
幼少期の頃は一人でいることが好きな内気な性格でしたが、小学校に入ると人を喜ばせることが好きという性格が出始め、明るい性格に変貌します。
正確には、「うるさい変人」ですかね。突拍子もない冗談や変顔でよく場を笑わせていました(笑)。
両親はあまり束縛することなく自由に育ててくれたこともあり、どこかずれていて協調性がとにかく低く、自由奔放な少年に育っていきました。
掃除中に消しピンをして怒られたり、授業中にみんなと違うことして怒られたり、放課後に20時まで友達の家に寄り道して怒られたり。今思うとクラスでもかなり怒られる回数が多く、浮いていたと思います。
いっぱい怒られてよく泣いていましたね(涙)。
けど学校っていろんな生徒がいるので、こんな僕にも仲の良い友達はそれなりにいました(内心嫌っている人も大勢いたと思いますが…(汗))。
自由奔放な目立つ行動を面白がってくれる人が少なからず存在したんですよね。私は小学校を3校経験していますが、どの学校でも仲の良い友達ができていました。
流行や周りに合わせることにとにかく興味がなく、ひたすら我が道を行き他人を気にせず自分をさらけ出していたので、この頃はとても楽しく幸せでした。
小~中学校時代(部活動)
野球が好きなので小5~中3まで野球をしていました。
小学校では地元の少年野球チームに、中学校では野球部に所属しましたが、まあ馴染めませんでした。
小中学校時代はおちゃらけた自由奔放キャラ。野球部の風土に合わないのは想像に難くないですね…。
規律をとりあえず守る、先輩の言うことを聞く、練習中に笑顔を出すのはいけない、勝利至上主義。
このような風土と私の自由奔放で何事も楽しんでやりたい性格が合わず、同級生や先輩から頭おかしいレッテルを貼られ、嫌われとてもつらい思いをしていました。
中学2年生頃、さすがに嫌われる辛さに限界が来たため、嫌われないような振る舞いを心掛けるようになりました。
具体的には自分を押し殺してでも「協調性」を意識して行動することです。そうすることで周りと表面上は上手くなじめるようになり、嫌われることがなくなっていきました。
中学3年生にしてようやく(表面上の)「協調性」を身に着けたのです。
高校時代
中学の部活動の経験から協調性を身に着け迎えた高校時代。対人関係では自由奔放なおちゃらけキャラは影を潜め、幼少期の内向的な性格が顔を出すようになりました。
そのため中学までと比較にならないぐらい落ち着いた高校生活を送りました。
変人な部分を出さないように振舞っていた感じですね。 (友達には「ところどころ変人で面白いよね」と言われていました)
一方で勉強面では学校の授業をほとんど聞かず内職して自己流で進めるなど、自由奔放な性格が出ていました。
その代わり自分なりに工夫して取り組んだので楽しく受験勉強ができ、満足のいく大学に合格することができました。
高校卒業時点でも将来やりたいことが明確になっておらず、大学で見つかればいいやぐらいに思っていました。
大学時代
興味本位でバドミントンのサークルに入ったところ想像以上にバドミントンが面白く、どっぷりと漬かりました。
また大学は人間関係が自由で馬が合う人とだけつるんでいればよいので、人間関係で悩むこともなく最高に楽しい生活でした。
しかしこの頃から労働に対する強い恐怖心を覚えるようになってきました。
周りは当たり前のように塾講師や飲食店といった接客のあるアルバイトをするのですが、私は怖くてそのようなバイトはできませんでした。
大学1~2年は、話す機会が少ない採点バイトをしていました。
学生時代まで、人間関係を構築する基準は「楽しいかどうか」で許されますが、労働となるとそれだけでは許されません。
楽しくもない人間関係が発生することに強い恐怖を感じていたのです。このことから大学時代は「俺は根がド陰キャなんだ…」と悩んでいました。
その後大学3年生で一念発起し塾講師のアルバイトを初めましたが、子供と話すことが楽しく長続きしたバイトになりました。
自分は昔から変人で人と違いすぎて社会でやっていけるのだろうかと考えることが増えました。労働から逃げるように、(理系だったこともあり)大学院進学を決意しました。
研究室時代
理系では大学4年生から研究室に入ります。大学4年生になっても将来やりたいことが分からず興味のある研究室は特になかったので、きつくなさそうで評判のいい研究室を選びました。
当時は2020年で、コロナ禍真っ最中。実験がなくシミュレーション系の研究室だったので、自宅でフルリモートで研究ができる環境でした。
興味ない分野×フルリモートは人を極限まで堕落させます。
周りの同僚が研究を頑張る中で、1日中デュエル・マスターズのソシャゲに明け暮れるニートのような生活を送っていました。一時的にレート全国1位を取るぐらいまでやりこんでいました(笑)。
当然研究は進まず、卒業が危うい状態。自由奔放なのに心配症な性格で、「このまま卒業できなかったらどうしよう…」と悩み、軽いうつ状態になりました。
この環境にいたら自分が壊れてしまうと思い、研究室から逃げ出すように就職活動を始めました。
2021年入社の採用はほぼ終了している時期だったため、1年遅らせて2022年入社として面接を受けていました。
就活の軸(本音)は「楽なホワイト企業」。労働への恐怖心は消えていなかったため、人がほとんど辞めない楽なホワイト企業に行きたいという思考です。 (社会不適合者の極みですね…。)
その結果、大手BtoBメーカーの営業職として内定をもらうことができました!ホワイト企業ランキングにはほぼ入っているような優良企業です。
案外人生何とかなるなと思いました(ならないんですが…)。中学で身に着けた表面上の協調性を面接でも発揮し、内定を得ることができたと思います。
大学も温情で卒業させてもらい、1年遅れた分はニートのような生活をして、2022年からいよいよ社会人生活がスタートします。
社会人時代
「懲役40年」入社式前夜にはこんな言葉を考えながら憂鬱になっていました。自分は本当に社会人に馴染めるか不安。
しかしさすがはホワイト企業。なんと研修が4か月もあるのです。
研修では少しワークがあったり毎日日報を書かなきゃいけないものの、基本的に受け身でOKなのでかなり楽でした。残業もありませんし、「社会人意外と楽だな~」なんて思ってましたね。
4か月の研修、夏季休暇を終えたあたりでいよいよ配属先での本格的な仕事が始まりますが、ここからが大変で、会社に行くのが徐々に苦痛になっていきました。
・マルチタスクができない
・一つ一つのタスクをスピーディにこなすことができない
・仕事のスピードがいつまで経っても速くならない
・考えや報告を言語化するのに時間がかかる
・会議で支離滅裂な説明をしてしまう
・入念に準備しないと電話ができない
・客や上司からケアレスミスを指摘される
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【性格の問題】
・集中が2時間ぐらいしか持たない
・最低でも週40時間拘束されるのにいつまで経っても納得がいかない
・人間関係が希薄なのに人と話しながら業務を進めるのが苦痛
・意義を感じない業務が苦痛
・会社の方針に納得ができないが、裁量権がないのでその方針のもとやらざるを得ない ・そもそも仕事に興味が持てない
・期限ぎりぎりにならないとやる気が出ない
・ビジネス(金儲け)そのものに興味がわかない
・会社の飲み会が苦痛(サービス残業している気分)
・周りの人も仕事を楽しんでいなくてゾンビに見えた。ゾンビと一緒に仕事したくないと思った
前半は能力的な問題ですが、後半は性根から社会不適合者って感じですよね…(汗)
1年目のうちは自分はなんて社会不適合者なんだろうと悩みながらも、「そのうち慣れるか」と思いなんとか自分を押し殺しながら耐えていました。
しかし2年目の秋頃になり前半の能力的な問題は多少改善されたのですが、後半部分については改善されないどころか悪化の一途を辿っていきました。
心を押し殺してなんとか適応しようとしてきた代償で、モチベーションの糸がプツリと切れた感覚がありました。
そして2年目の12月、明らかに仕事のパフォーマンスが落ちメンタルクリニックを受診したところ適応障害と診断され、休職に至りました。
それほど残業していたわけでも、仕事がブラックだったわけでもなくメンタルをやられた自分のことを責めに責めまくりました。
ホワイト企業ですら正社員としてやっていけない自分に価値なんかないと追い詰められていました。
休職中
なぜ休職してしまったのか?
休職に至ってすぐは、仕事のことを一切考えずに自分の好きなことをしました。
1か月ぐらい経過しメンタルが回復してきたタイミングで、「俺は何で追い詰められたんだろう」ということをひたすら考えました。
休職に至った要因として最も大きかったのは、能力的な問題よりも楽しくないことに週の大半が奪われることだったとわかりました。仕事に興味がなく人間関係も学校のようにはいかず、楽しいと思えなかったのです。
社会に適合し日々仕事を頑張っている方から見れば、「なんだこいつ舐めてるのか」と思われるかもしれません。
しかし、私のこれまでの人生を振り返ると単純でした。充実していた時は楽しくクワクしていたときで、充実しなかった時は楽しくなくてワクワクしていなかったときなんです。
私が重要視している価値観はワクワクしているかどうかなんです。
周りを気にせず自由奔放に楽しんで幸せだった小学生時代。自己流で楽しく勉強していたら成果が出た受験時代。子供の成長を見るのが楽しくワクワクして働けていた塾講師バイト時代。デュエマのソシャゲで全国1位になったとき。
すべてワクワクしていた時です。苦しんで苦しんで成果を出すタイプではないんです。楽しくて自然とやってしまうことをやると人生が充実するのです。
じゃあ楽しい仕事って何だろうか? それを知るためにはまず自分を知る必要があると考え、休職中は自己理解に没頭します。
「自己理解」のすばらしさ
就活中まともにやらなかった自己分析や自己理解。いろいろサイトを調べましたが、ダントツで分かりやすく腑に落ちるのが八木仁平さんという方のYoutube動画です。
この方の動画は自己理解の本質的な部分に触れ尚且つ体系的にまとめられていて、物事を本質から学ぶのが好きな私にすごく合っていました。
八木さんの動画を中心に自己理解にのめりこみ、自分の価値観や才能、興味がどんどん明確になっていきました。
自己理解に取り組んで最もよかったと思うのは、「自分はありのままでいいんだ」と思えたことです。 そして、ありのままの自分を出せている時が一番楽しく充実していたと分かったことです。
今までは「なんで自分は人が当たり前にできることができないんだろう」「なんで自分は人とこんなにも興味が合わないんだろう」「なんで自分はこんなに社会不適合者なんだろう」と悩んでいました。 「社会でうまくやっていくには自分を押し殺して、社会が求める人材に近づかなければいけないのかな…」と落胆していました。
しかし自己理解に取り組むことで、「自分はありのままで生きていい」「ありのままの自分が輝ける場所を探すor創ればいい」と前向きな気持ちになりました。
「ストレングスファインダー」との出会い
自己理解の中でも、私が最も出会って良かったな~と思ったのはストレングスファインダーという性格診断ツールでした。
自己理解に出会う前は社会に適合できない自分に自信をなくしており、「自分には社会で求められる長所がないんだろうな」と絶望していました。
しかし、ストレングスファインダーに出会いその活用の仕方を勉強することで、どんな短所でも長所として活用することができるんだと確信を得ることができたのです。
自己理解やストレングスファインダーに出会うまでは、
・人と会ったらすぐに仲良くならなきゃいけない
・いろいろなことに興味を持たなければいけない
・思い立ったらすぐ行動できるようにならないといけない
…など思い込みが強く、それができない自分に苛立つことがすごく多かった。
けれど今はストレングスファインダーのおかげで自分が得意なことと苦手なことがよく分かっています。
そして、短所が長所の裏返しになることを知っています。
なので、
・すぐ仲良くなるのは苦手だけど、信頼できる人と深い関係を築くのは得意だからそれを活かしていこう!
・自分は一つのことの質を極限まで高めることが好きだから、興味の幅が狭くなるのはしょうがないよね!
・行動の方向性を見極めるのに時間がかかるのはしょうがないよね。
その分余計な失敗も少ないし、行動を始めることができればめちゃくちゃ早く成長できる人間だよね! と、ほぼすべての短所を前向きに捉えられるようになったのです。
将来の夢
自己理解に本気で取り組みストレングスファインダーに出会ったことで、幼少期の「プロ野球選手」以来一度もできたことがなかった将来の夢ができました。
それは、「どんな個性も尊重され、すべての人がワクワクして暮らせる社会を創ること」です。
「当ブログのコンセプト」でも述べましたが、社会が求める人材は多様性・個性がなさすぎます。
そしてその夢の実現手段としてストレングスファインダーを中心に発信し、読者の方が強みを見つけ人生にモチベーションが溢れる状態になれば最高だなと思います!
短所を前向きに捉えて長所として活用できるようになれば…。一人一人が持つ唯一無二の強みや個性を社会で発揮することができる。
そんな社会の実現のため、ブログでストレングスファインダーの活用方法を発信していきます!